代表中村恒瑛について
FPオフィス縁代表の中村恒瑛(なかむら ひさえ)です。
1950年山口県防府市千日生まれ、2024年で74歳となります。
保険を売らない独立系FPとして固定観念にとらわれない中立的な立場から、相談者へのベストアドバイスを目指します。
「自分で考え、判断し、行動する」方法を広め、経済的不安を無くし、誰でも最期まで自分らしく生きていける社会を作りたいと考えています。
FPオフィス縁代表の中村恒瑛(なかむら ひさえ)です。
1950年山口県防府市千日生まれ、2024年で74歳となります。
保険を売らない独立系FPとして固定観念にとらわれない中立的な立場から、相談者へのベストアドバイスを目指します。
「自分で考え、判断し、行動する」方法を広め、経済的不安を無くし、誰でも最期まで自分らしく生きていける社会を作りたいと考えています。
FP(ファイナンシャルプランナー)へのデビューは50歳
FP資格を知ったのは、更年期真っ只中の50歳です。きっかけはある方のアドバイスの一言、「資格を取ったら将来必ず役に立ちます」に反応し、何だろうかと一生懸命考えました。
この年齢から新しいことへの挑戦は必ずしもスムーズにいったわけではありませんが、思い切って飛び込んだことで世界は変わり、知ること学ぶことの楽しさを知った気がします。
FP資格を知ったのは、更年期真っ只中の50歳です。きっかけはある方のアドバイスの一言、「資格を取ったら将来必ず役に立ちます」に反応し、何だろうかと一生懸命考えました。
この年齢から新しいことへの挑戦は必ずしもスムーズにいったわけではありませんが、思い切って飛び込んだことで世界は変わり、知ること学ぶことの楽しさを知った気がします。
年間20万円の年金が消えていることにショック
公的年金制度のことについて初めて知り、仕組みさえも知らない自分にショックでした。どうして親が教えてくれないのだろうかと思ったものです。
自分の年金がいったいいくらなのか、当時まだねんきん定期便がない頃でしたので、即社会保険事務所へ出向き年金の状況を尋ねました。すると、私の年金から年間20万円が消えている(カラ期間)ことがわかり、更にショックを受けました。
公的年金制度のことについて初めて知り、仕組みさえも知らない自分にショックでした。どうして親が教えてくれないのだろうかと思ったものです。
それでも自分の年金がいったいいくらなのか、当時まだねんきん定期便がない頃でしたので、即社会保険事務所へ出向き年金の状況を尋ねました。すると、私の年金から年間20万円が消えている(カラ期間)ことがわかり、とてもショックを受けました。
働き方の答えは20年後
年金事務所で相談員さんと出会い、FPとして少しだけ年金の仕組みを知ったことがきっかけで、私は働き方を考え、18年勤務した会社を辞める決断をしました。
働き方を変え、自営業として開業することの怖さもあり、今でいう副業という形でFPとして走り出しましたが、仕事があるわけでは決してありません。それでもFP資格を取り開業したことは大きな挑戦でした。
年金事務所で相談員さんと出会い、FPとして少しだけ年金の仕組みを知ったことがきっかけで、私は働き方を考え、18年勤務した会社を辞める決断をしました。
働き方を変え、自営業として開業することの怖さもあり、今でいう副業という形でFPとして走り出しましたが、仕事があるわけでは決してありません。それでもFP資格を取り開業したことは大きな挑戦でした。
「名前を変えてみたら?」で「中村恒瑛」になりました
高齢者(65歳)に突入し将来についての不安を感じ、踏み出せない自分がいることに気づいていました。そんな時「名前を変えてみたら?」のアドバイスに反応し、ビジネスネームを変えることになりました。
本名は中村久枝ですが、「中村恒瑛」を見たとき男性の名前のような強さを感じました。何か覚悟への後押しがされたような気がしています。とんでもないと思うことも、時には必要なことだと思います。
高齢者(65歳)に突入し将来についての不安を感じ、踏み出せない自分がいることに気づいていました。そんな時「名前を変えてみたら?」のアドバイスに反応し、ビジネスネームを変えることになりました。
本名は中村久枝ですが、「中村恒瑛」を見たとき男性の名前のような強さを感じました。何か覚悟への後押しがされたような気がしています。とんでもないと思うことも、時には必要なことだと思います。
92歳まで現役を目指します!
歳を重ねるにつれ、何か進めない自分の将来を見つめていました。このまま仕事を続けていていいのだろうか、不安な感じでした。
そんな時、手相を見てもらう機会があり、たった一言「92歳まで現役です」に動かされ、92歳まで27年、まだまだ色々なことが出来る!と単純に、素直にそれを受け入れました。
歳を重ねるにつれ、何か進めない自分の将来を見つめていました。このまま仕事を続けていていいのだろうか、不安な感じでした。
そんな時、手相を見てもらう機会があり、たった一言「92歳まで現役です」に動かされ、92歳まで27年、まだまだ色々なことが出来る!と単純に、素直にそれを受け入れました。
チャンスは誰にでも到来するものです
誰しもチャンスはあると思います。踏み出すか踏み出さないか、自身の決断にかかっているのではないでしょうか。踏み出すということは前を向いて行動することに繋がっていきます。
これだと思えるものに出会えたらまず行動してみると、色々な視点が増えていきます。今それを実感しています。
誰しもチャンスはあると思います。踏み出すか踏み出さないか、自身の決断にかかっているのではないでしょうか。
踏み出すということは前を向いて行動することに繋がっていきます。これだと思えるものに出会えたらまず行動してみると、色々な視点が増えていきます。今それを実感しています。
コンサルティングのプロとしてサービスを提供し続けます
最初のスタートは個人事務所「縁小屋」。一主婦からの出発でしたが、いつかは事務所を開設しようと思っていました。
実現したのが2014年、64歳の時です。あるプロのデザイナーとの出会いにより名前、カラーなどデザインしていただきましたが、その時「プロ」の仕事というものを実感させていただきました。私もやるからにはコンサルティングのプロを目指したいと改めて誓いました。今でもそれは変わらずコンサルティングのプロとしてサービスを提供し続けます。
最初のスタートは個人事務所「縁小屋」。一主婦からの出発でしたが、いつかは事務所を開設しようと思っていました。
実現したのが2014年、64歳の時です。あるプロのデザイナーとの出会いにより名前、カラーなどデザインしていただきましたが、その時「プロ」の仕事というものを実感させていただきました。私もやるからにはコンサルティングのプロを目指したいと改めて誓いました。今でもそれは変わらずコンサルティングのプロとしてサービスを提供し続けます。
人の話を聴くことは得意、人が好きです
FPがきっかけで消費生活相談員としての仕事が舞い込みました。その後8年勤務しましたが、今とても役に立っています。
環境、財産、考え方など人によって、全く同じ状況はありませんし、そもそもマニュアルはありません。相談者の声に耳を傾け、一生懸命に話を聴きます。
固定観念にとらわれない、クリエイティブなプランが提供できるのも、消費生活相談員として多くの方のトラブルを聴き取り、解決方法を探し、事業者と斡旋した経験が役にたっているのではないかと思います。
布川敏和さんと一緒に
FPがきっかけで消費生活相談員としての仕事が舞い込みました。その後8年勤務しましたが、今とても役に立っています。
環境、財産、考え方など人によって、全く同じ状況はありませんし、そもそもマニュアルはありません。相談者の声に耳を傾け、一生懸命に話を聴きます。
固定観念にとらわれない、クリエイティブなプランが提供できるのも、消費生活相談員として多くの方のトラブルを聴き取り、解決方法を探し、事業者と斡旋した経験が役にたっているのではないかと思います。
布川敏和さんと一緒に
達成感への喜びを感じられた相談者を見るのが好きです
どんな小さなことでも、自分の力で出来たことへの達成感、これは非常に嬉しく感じられるようです。お客様のそんな姿が見たい一心で、コンサルティングを行っています。
理解し、納得のうえ、自分で行動し、解決の一歩を踏み出すことの喜び。これこそが私が目指している理想の相談です。
どんな小さなことでも、自分の力で出来たことへの達成感、これは非常に嬉しく感じられるようです。お客様のそんな姿が見たい一心で、コンサルティングを行っています。
理解し、納得のうえ、自分で行動し、解決の一歩を踏み出すことの喜び。これこそが私が目指している理想の相談です。
好きな言葉
試練に遭ったら幸運だと思いなさい |
出きない理由より、やる方法を考える |
株式会社FPオフィス縁 中村恒瑛